小さな花

カシャッ…


その音はとても小さな音だった。
微かな音と言ってもおかしくない程の音。

それでも幼いアイーダの耳には聞こえてしまった。

いやそもそも音の原因はアイーダなのだから当然のことだろう。


その音がした方へ恐る恐る目をやると…

案の定その「もの」は完全に形を崩していた。


まだ幼いアイーダはその壊れてしまった「もの」の前でただ途方に暮れた。






城内の長い廊下を足早に歩きながらため息をついた。
家臣達が探してくるからというのを無理やりに振り切って探しにでたけれど
心当たり全てに当たってみたけれど肝心の妹の姿を見つけることができなかった。

城内にいることは確かだと思うが…万が一ということも…

漠然とした不安が過ぎる。
それを否定できるだけのものがあの妹にはとても思いつかなかった。

けれどいくらなんでも城の外に出るには門を通らねばならない。
そうなれば妹に気がつかない者などいないはずだと思う。
第一、1人で外に出るのには幼すぎる。

そんなことを思いながら手当たり次第に部屋を覗いてまわる。

「ウバルド様!」

その時、背後から声が掛かった。
家臣の子供で幼馴染でもあり自分に仕えるサウフェの声だった。
その声に振り向きつつサウフェに問う。

「見つかったか?」

その問いにサウフェは申し訳なさそうに首を横に振る。

「いえ…いまだに。すみません。」

その答えにまたため息をつく。
するとサウフェがあっと思い出したように口を開いた。

「ウバルド様、カマンテがもしかしたら外にいかれたのではと探しに行ってしまって…」

その言葉に思わず頭をおさえた。
カマンテもまた父王に仕える家臣の息子でサウフェと共に自分に仕える者だ。
あいつは何ですぐに思ったまんまをそのまま行動に移すんだ…
きっと聞くのは無駄だと思いながら一応、念のために聞いてみる。

「城門の兵に見かけたかどうかは確認したのか? カマンテは。」

「それが城門の兵の話によるとカマンテは声もかけずに飛び出して行ったとか…。」

その言葉は予想はしていたがどうしようもない脱力感に襲われる。
いくらなんでも妹の年齢を考えてみろ。いくらお転婆だといってもまだ幼いというのに…
それだけ妹のことを心配しているのだというのはよく解るのだが。

「それで兵の話ではアイーダ様もそれらしい子供も見ていないということです。」

サウフェのその報告がまるで追い討ちのように感じる。
それからサウフェは少し困った顔になって問う。

「どうします? 連れ戻した方がいいですか?」

その答えは解りきってる。

「時間の無駄だ。俺達はもっと城内の範囲を広げて探すぞ。」

それだけ言うとさっさと動き出すことにした。

その言葉にサウフェは心の中でカマンテに同情しつつもすぐに従った。





ウバルドの指示に従ってサウフェは城内でも一際に人の気配がない処まで来ていた。

そこは宝物庫が並ぶ一角であった。
こんな処にあの王女の関心を引くものがあるとは思えないのだけれど…。
そんなことを思いながらももう他に見当のつく場所は思い当たらなかった。

王家伝来や重要な宝物は厳重に封が施され、常に見張りがいる。
だから当然、そこにいる確率はまずない。
そうなると比較的、宝物庫というよりただの倉庫となっている場所あたりだろう。
そうまず見当をつけてそちらに向かう。

しかしそのことをウバルドに伝えてもらうように兵に頼んでおいたのを思い出す。
待って一緒に探してもらった方が効率がいいかと思ったが先に探すことにした。

まず最初に当たった倉を丹念にしらみつぶしに探すが人の気配はない。
そのことにサウフェは少々落胆しつつ次の倉へと向かう。

次の倉へと入り中を探る。

すると目の端に見慣れた姿が入ってきた。
サウフェが慌ててそちらに視線をやると…

何かを一心に見つめつづけ立ち尽くすアイーダの姿があった。


「王女様…? こんな処におられたのですか…。」

自分の見当が間違っていなかったことにほっとしつつ声をかけた。





急に背後から声をかけられアイーダはひどく驚く。
誰も来ないと思っていただけに余計に。

声の主を振り返るとそれは兄に仕えるサウフェだった。

「…サウフェ…どうしてここに?」

アイーダのその問いにサウフェは優しい笑顔で答えた。

「アイーダ様を探していたのです。皆、心配しておられますよ。」

その言葉に…その笑顔にアイーダは思わず俯いてしまった。
サウフェがその様子に訝しげに聞いてくる。

「どうか…なさいました? アイーダ様。」

正直に言おうと思った。自分ではどうすることも出来はしないから。
アイーダがそう覚悟を決めて口を開こうとしたその時、入り口から声が掛かった。

「サウフェ! こっちに居るのか?」

兄ウバルドの声だった。
その声にサウフェが答える。

「あ、はい! こちらにおります。アイーダ様も!」

サウフェがそう答えるよりも早くウバルドはサウフェの姿とアイーダの姿を確認する。
足早にアイーダの前まで来ると心底ほっとした様子で息をついた。
そして少しだけ怒り滲ませアイーダに問う。

「アイーダ…こんな処で今まで一体何をしていた?」

兄の姿を見てアイーダは安堵しつつも表情を強張らせた。
そして俯き囁くような声で謝る。

「兄さん…ごめんなさい。」



いつものアイーダらしくない弱々しい声にウバルドは訝し気に思った。
咄嗟にアイーダの顔を覗き込むと、今度は優しく尋ねた。

「何があった? アイーダ。」

アイーダは覚悟を決めて自分が壊してしまった「もの」の方へ顔を向けた。
ウバルドがその視線の先を追う。

その場にいるサウフェもまたアイーダの視線を追う。
そして何かを目に止めて思わずサウフェが小さく声をあげた。

「…あっ…!?」

ウバルドも同時にそれを確認する。
アイーダの視線の先にあったものを。

それはもはやその形を崩してしまった小さな薬壺だった。
その壺には小さな花が象ってあり女性の持ち物であったのだろう。

サウフェがその壊れた薬壺の近づき中身が入っていたかどうか調べる。
ウバルドはアイーダの手を取り、怪我がないかどうか確認する。

「アイーダ。怪我はないか? 気分は悪くないか?」

その問いにアイーダはただ黙って頷いた。
そしてサウフェが安心したように言う。

「この壺には薬の類ははじめから入ってないようです。」

その言葉にウバルドも安堵する。
そして優しくアイーダに諭すように言う。

「アイーダ。無闇に壺に触れたりするな。毒薬が入ってる場合だってあるのだから。」

その言葉にアイーダは少し驚きつつ素直に頷いた。

「わかったわ。これからは気をつける。」

その答えにウバルドは優しくアイーダの頭を撫でる。
アイーダはそのぬくもりを心地よく感じつつもどうしても俯いてしまう。
その壺が象ってある小さな花がとても気に入ってお父様にお願いして頂こうと思ったのだ。
それなのに壊してしまった。自分が壊してしまった。
自分が気に入ったからではなく、もしかしたら大切なものだったかもしれない…
そう思うとアイーダの心はとても悲しくなってその兄のぬくもりが後ろめたく感じた。

俯いてしまったアイーダの瞳に涙が滲むのをウバルドは見て取った。
サウフェもまたそんなアイーダの様子に気づき少し慌てる。

ウバルドはさてどうしたものかと思案に暮れる。

するとそこに慌しい声が聞こえてきた。

「ウバルド様っ! サウフェっ! こちらにいるのですかっ!?」

その慌しい声の主はカマンテだった。
カマンテはウバルド達に気づき、そこにアイーダがいるのを見ると心底ほっと息をついた。

「ああ…王女。こんな処にいたのですか…探しましたよ。」

そのカマンテの言葉にウバルドもサウフェも少々呆れた。
ウバルドはあからさまに冷ややかな視線を送っている。

しかし、ウバルドはふと何かを思いつく。
そしてアイーダに向かって優しい笑顔で告げた。

「アイーダ。心配するな。カマンテが身代わりになってくれる。」

アイーダは兄が何を言ってるのか理解できずにきょとんとする。
カマンテも何がなんだかわけがわからずに呆然とした。

「…は? 身代わり…?」

漸くカマンテが呆然としたまま呟くように口を開いた。
そんな中、サウフェだけがそのウバルドの言葉を理解し驚く。

「ウ、ウバルド様…それは…。」

何かを言いかけるサウフェの言葉をウバルドが目配せして遮る。
それにサウフェは思わず黙る。

ウバルドはカマンテに顔で壊れた薬壺の方を示す。
カマンテはそれを見つめつつも何を言われてるかまだ理解できない。
そこにウバルドが更に続けた。

「カマンテ。これはお前がやったんだ。いいな。」

その言葉にアイーダはびっくりして兄の顔を見上げた。
カマンテは漸くウバルドの言葉を理解する。

「はぁっ? なんで…っ!?」

そして当然ながら抗議の声をあげた。
ウバルドはアイーダの手を繋ぎながらそれに一言だけ冷ややかに告げる。

「勝手な行動をした罰だ。カマンテ。」

そしてまだ驚き唖然としたままのアイーダを連れて倉からで出て行こうとする。
しかし入り口で一旦、立ち止り振り返る。

「後始末は頼んだぞ。サウフェ。さ、アイーダ行くぞ。」

それだけ最後に残してアイーダを連れてさっさと戻っていく。
カマンテとサウフェはそれをただ呆然と立ち尽くして見送るしかなかった。




「なあ…サウフェ…俺、何かしたか?」

カマンテにしてはかなり情けない声で呟いた。
サウフェはそれに思いっきり同情の眼差しを向ける。

「まあウバルド様に伺いも立てずに出て行ったのはまずかったのかも…。」

サウフェのその言葉にカマンテはただただ深くため息をついた。







自分の部屋に戻る廊下でアイーダは漸く兄に尋ねることできた。

「兄さん…いいの?」

「何が? カマンテのことか? 大丈夫だ、気にするな。」

兄のその言葉にそれでもアイーダは更に続ける。

「けど…あれは私が…。」

ウバルドはそのアイーダのその言葉を遮る。

「気にするなと言っている。」

それにアイーダは憮然と俯いた。
ウバルドはそれを見て優しく諭す。

「アイーダ。それが嫌ならこれからは無闇な行動は控えるんだ。解ったな。」

アイーダは顔をあげた。そして兄の言葉をじっと噛締める。
そしてしばらくして大きく頷いた。

それを見てウバルドは優しく微笑む。

アイーダも漸く心が晴れて微笑んだ。





「アイーダ。後でカマンテに礼を言っておけよ。」


「うん。」




強い陽射しの中でまだ幼い小さな花が笑っていた

これからの未来にはただ輝くものだけがあると信じて…




−END−