踊りつづける星
ダンサー
それは自分が自分らしく生きるために踊る。
例え何を犠牲にしても、踊ることが生きることだと言わんばかりに。
そうしなければ自分の存在価値さえないとでも言わんばかりに。
輝きつづけるために踊る星
だが、同じダンサーで、「生きる」ために踊る人間でもまるで違う者たちもいます。
その人間達の「生きる」ためとはただ食べていくことだけだなのです。
それを同じと言えるのかは、それぞれ価値観が異なることでしょう。
しかし、どんな境遇でも踊ることに代わりはないのだから、やはり同じ言えましょう。
そして前者のダンサーとは才能と環境に恵まれた者が追い求めるもの。
世の中には後者の方が遥かに多く、それが世の中だとも言えます。
そう、いつの世も…輝ける星は限りあるものだから。
さて、今回は私が出会ったダンサーの話をしましょう。
唯一、私が私の手で作り出すことのなかったダンサーです。
彼女は同じダンサーでも、後者の方。
そう彼女は、とある街のダンスホールの踊り子でした。
「随分、しけた顔してるじゃない。此処はそんなにつまらない?」
ある晩、何かを求めて何となしに入った少々古びた、しかし妙な賑やかさと活気が入り混じった
不思議な雰囲気に満ちたダンスホールのカウンターで1人、踊る人々を眺めていたその時。
明るい茶色の癖毛に黒い瞳の、このダンスホールの踊り子らしき彼女が声をかけて来たのです。
相手が見つからなかったのか、単に休憩しにこちらに来たのかはわかりませんでしたが。
咄嗟に私はそんなにつまらなさそうにしていただろうか…と思わず苦笑していました。
「そんなことは…ありません。気に障ったなら申し訳ない。」
私がそう言うと、彼女は一瞬、目を丸くして次の瞬間には可笑しそうに笑い出した。
何が可笑しいのか私にはわかりませんでしたが、彼女曰く。
「そんな風に返してきた男はあんたがはじめてだわ!」
そう、此処では彼女の言葉は単なる声をかける口実。
私はそのことにやっと気づいて、更に苦笑してしまいました。
最初から気づいていても私はやっぱり同じように答えていたとは思います。
「次の曲が始まるまで、隣いい?」
私は頷いて、自分の隣の椅子を引き、彼女を座らせました。
そうしてしばらく酒を片手に他愛もない会話を彼女と楽しみます。
最近の事件や芸能スキャンダルなどの世間話。
やがて彼女がさり気なく聞きました。
「あんた、仕事は何してるの?」
唐突に現実に戻されたような気分になって、ほんの少し戸惑いました。
けれど別に他愛もない会話の続きだと思い私は答えます。
「…シナリオライター。」
彼女は一瞬、あからさまに眉を顰めました。
何か気に障った様子でしたので、私は冗談混じりに尋ねます。
「お気に召しませんか?」
彼女はわざとらしく大きく頷いてみせる。
「ええ、召さないわ。でも最低でもないからいいわ。」
ほんの一瞬だけ見せた不愉快そうな表情から、一転し笑顔になる彼女。
煌々としていてもどこか薄暗い照明の中で、その笑顔がとても綺麗に見えました。
いいえ、実際のところ彼女の顔は美人の類に入る器量でした。
ただこのダンスホールにおいては彼女は特別でもない程度に。
その綺麗な笑顔が作られたものだからだったのかもしれません。
いえ、これは私がただそう感じただけの話ですが。
「シナリオライターはお嫌いですか?」
私が少し真剣にそう問い掛けると彼女は笑顔のまま答えました。
「その関係の職業が嫌いなだけよ。貴方のことは嫌いじゃないわ。」
彼女自身、その関係にも似た職業に就いていながら、意外な答えだと私は思います。
けれど彼女はもうそれ以上、その話をしようとはしなかったので私は黙ってグラスを傾けました。
そうしている内に店に流れていた曲が途切れました。
もうすぐ次の曲が始まります。
何人かの客がちらちらと彼女の方を見ているのを視線の端に止まりました。
どうやら彼女はそこそこ人気者らしいのです。
彼女との一時は穏やかながらも楽しかったのですが、仕方ありません。
彼女は軽く溜息をついて席を立ちました。
そのまま行ってしまうのかと思いきや、唐突に彼女にかけられた言葉。
「ねぇ、次の相手してくださらない?」
私は少し驚いて彼女の顔を見ました。
明らかに相手に不足してるとは言い難い状況でした。
「まさか踊れないなんてことはないわよね?」
挑発的な目でからかうような口調で私に向かって誘う彼女。
でもその目はどこか真剣でした。けれどもどこか醒めてもいました。
私はそんな彼女に少し困ったような笑みを浮かべ言いました。
「上手くもありませんけれど、私でよければ。」
そう言って普通は手を差し伸べるところですが、此処はダンスホールです。
入る時に買わされていたチケットを彼女に渡しました。
それを彼女は慣れた手つきで半分にもぎると腕を差出します。
私はそのまま彼女を踊り場までエスコートする形になりました。
それはまるで私を舞台へと向かうような気持ちにさせました。
「貴方、どんな話を書いてるの?」
曲が流れはじめ、彼女が慣れた足つきで優雅にステップを踏み出し始めた時でした。
唐突に問い掛けられた質問に私はまた苦笑するしかありませんでした。
「君はいつも唐突ですね。」
私が思わず零したその言葉に彼女は笑って答えました。
「あら、ごめんなさい。でも聞きたかったのよ。」
それでも彼女の問いかけに漸く自分の仕事を思い出すことができました。
「今度はダンサーの話を書いてみようと思ってます。」
まだ何も浮かんではこないけれど…そう続けながら私は気づきました。
彼女もまたダンサーではないかと。
「ふうん…ダンサー…ね。」
そう相槌を打つ彼女の瞳がほんの僅か懐かしそうに揺れて見えました。
私の思い過ごしだったのかもしれません。
けれど私にはそれがとても気になって仕方なかったのです。
「君…はもしかしてダンサー?」
思わずそう尋ねた私に彼女はまっすぐに見つめ返して答えてくれました。
「だった。過去形よ。」
「今…は? 違う?」
彼女はそれには大笑いをしました。
けれど私は真剣に聞いたのです。
「貴方の思うようなダンサーとは違うわね。」
ひとしきり笑った後、彼女はそう答えました。
そうかもしれません。その時の私はそう思いました。
私が題材にしようとしているダンサーと彼女はあまりに違い過ぎます。
例えその過程が似たようなものであったとしても、その結果は異なっているのですから。
けれど何かが引っ掛かりました。心の中で、奥底で何かが。
「私の場合はね、よくある話よ。」
先程とは打って変わった様子で彼女がぽつりと話し始めます。
私はそれに黙って耳を傾けることにしました。
「田舎者だったのね。自分をわかってなかったのよ。」
家出同然で故郷を飛び出して、ダンススクールに通い、ブロードウェイに憧れ、
ただがむしゃらに頑張ってはみたものの、待ってたのは場末の小さな劇場や寂れたバーの舞台だけ。
それでもいつかと期待して、やがてはその希望を失い、気がつけば親も故郷の居場所も無くした。
大切なものは何もかも失くして、街から街へと流れ流れた、よくある結末。
「希望を失ったのは何故?」
それまで黙って聞いていた私は静かに尋ねた。
その間も私と彼女は曲が流れるままに踊りつづけながら。
「結局、才能がなかったの、ものにならなかったのよ。」
酷く醒めた口調で彼女は答えました。
私はふと思いました、それでも努力し続ける人間はいるのだと。
彼女はそんな私の心を見透かしたのか、醒めたままの瞳で笑顔を浮かべて言いました。
「身を売るような真似までしたのよ。それでも無駄だった。」
私はその言葉に衝撃を受けました、よくある話といえばそうなのでしょうけれど。
彼女はそれを責めるわけでも、訴えるわけでも、批難するでもない口調で言いました。
まるで当然だというような。当り前のことのように。
しかし衝撃を受けたのはそれだけではありませんでした。
それを受け入れた彼女自身が、そのことに傷つけられているという事実。
それを笑みを浮かべながら私に話した彼女が私は哀しくてしかたありませんでした。
その目の前の彼女はふと我に返ったような表情で少し悲しげに微笑んでいました。
「変ね…こんな話、誰にもしたことなかったのに…。」
そしてその表情を押し隠すように彼女が華やかで綺麗な笑顔を浮かべました。
「こんな話は忘れてね。シナリオライターさん?」
悪戯っぽく笑っても見せると、途端に彼女は楽しそうに踊りだしました。
慣れたステップで優雅にしなやかに。
それは確かに私がリードしているはずなのに、完全に彼女にリードされてしまっていました。
やがて曲が終り、私と彼女はまた先程のカウンターに座りました。
グラスを手に私は静かに尋ねます。
「君は踊りが好き?」
彼女は何も答えずにグラスの中身を一気に飲み干しました。
そしてこう答えました。
「此処では踊るのが好きなんだと思い込ませてる。でももう忘れたわ。」
彼女はそれだけ言うと席を立ち、新たな相手の元へと去って行きました。
やがて舞台が跳ねるように、閉店の時間となり、客は外へと追い出されていきました。
私はなんとなく立ち去りがたい気分で、店の前であの彼女を待ってみることにしました。
周りの妙な静けさとは裏腹に、店の前には何故か私と同じように何人かの客が残っていました。
しかし、踊り子たちがちらほらと店から出て来た頃にはその理由が私も理解できました。
此処はそういう場所なのだと。生きる為に。生きて行くためには。
私にはそれがいけないとか、批難しようとかは思えません。
ただあのダンスホールで踊る彼女達はとても楽しそうで華やかに輝いて見えて、
それでもどこか哀しくて切ないのだと思いました。
あの彼女もまた…。
どれくらい時間が経った頃でしょうか、漸く彼女の姿が目に飛び込んできました。
すぐさま私が近づいていくと、彼女は驚いた顔をしてこちらを見ます。
「約束していたかしら?」
どこか憮然としてそう言う彼女に私はどうしたらいいのか解らなくなりました。
少なくとも彼女の考えているようなことで待っていたわけではありません。
「いや…でも、もしこの後、予定がなかったら映画でも行きませんか?」
自分でも唐突にそんなことを口にしていました。
本当に言いたいことはきっと違うことだったのだろうと知っていながら。
彼女は先程と同じように驚いた顔をしますが、やがてそれは困ったような笑顔に変りました。
「もしかして、さっきの昔話を気にしているの? こんなダンスホールの女の話よ?」
まさにそうなのだろうと私は自分ごとながら思い、それでも答えられないでいました。
彼女は困ったような笑みから穏やかな笑みを今度は浮かべながら続けました。
「優しい人ね…それとも実は下心ありかしら?」
穏やかな笑みのまま言われたその言葉はきっと誰より彼女自身を傷つけているのです。
そう言われた私ではなく。私は堪らなくなって彼女に言いました。
「君はこんな、ではないし。とても素敵な女性ですよ…そんな風に言わないで下さい。」
私のその言葉に彼女は目を伏せ俯いてしまいました。
そうなってしまっては私はどうしようもなく、少し慌ててしまいました。
それでも彼女はすぐに顔をあげて、ダンスホールでは見せなかったとても素敵な笑顔を私に見せてくれた。
彼女は小さな囁くような声で私に言いました。
「…ありがとう。」
私はそれを黙って受け止めました。
私のはただの同情だったに過ぎなかったかもしれないのに。
彼女はそう言ってくれたのですから。
そうして私と彼女はしばらく夜の街を街灯に照らされながら目的もなく歩いていきました。
ただ黙って隣を歩いていた彼女が、突然何を思い出したのか笑い出しました。
私がどうしたのかと尋ねると彼女はまだ可笑しそうに答えます。
「だって貴方、女を慰めようとするのに映画に誘うなんて…やっぱり可笑しいわ。」
彼女はそう言いながらまだ可笑しそうに笑っていました。
私はそうだろうか?と少し不思議に思いながらも、ついつられて笑っていました。
やがて彼女はそれでも…と続けます。
「その気持ちは嬉しかったわ、でも慰めてくれるなら映画じゃなくていいの。」
そんなお金のかかることが欲しいのではないから…と彼女は言うのです。
優しくそう言う彼女はまるで儚げで今にも何処かへ消えてしまいそうだと私は感じました。
「だから、キスして。おやすみのキスでいいから…それでいいの。」
彼女の言葉に私はそれ以上、何も考えようとは思いませんでした。
ただそのまま黙って彼女の細い肩を引き寄せ、彼女の白い頬に手を伸ばしました。
「ありがとう。優しいシナリオライターさん。」
キスの後、彼女はそう言ってまた笑顔を見せました。
その笑顔にまた私も笑顔で返します。
そうして別れ際、彼女はこう言い残していったのです。
「ねぇ、ダンサーの話なら、どんな逆境でも夢を諦めない話がいいわ!絶対に!」
夢を諦め、失くした彼女はキラキラと輝いた笑顔でそう言い残して去っていったのです。
それは彼女の失くした夢の続きだったのかもしれません。
それとも私の話に自分の憧れを重ねてみたかったのかもしれません。
夢を諦めずに踊り続ける星と夢を失って踊り続ける星。
楽しそうに輝きながらも、哀しく切なく踊り続ける星。
そんな星達のため、私は夢を諦めないで輝く星を書いてみましょう。
そんな星達がいることを忘れないために。
−終−