行末 <後篇>

 その問い掛けにケペルはそれは思い違いではなかったのかと今になって思う。
 確かに戦うことに迷いや躊躇いを持つことは脆さと言われても仕方ない。

 だが例えそうだとしもラダメスには確実に揺るぎない強さがあった。

 それはきっと戦士としてではなく1人の人間としての何者にも覆せない強さ。

 ラダメスにとって「戦士」だから「戦い」があるのではなくて…
 「戦い」があるから「戦士」たる自分が必要だったのだろう。

 だから「戦い」の意味や価値が必要だった。


 ではあの頃のエチオピアとの「戦い」とは一体、何だったのだろうか…?


 ケペルにとってメレルカにとって…あの頃、戦って来た全ての戦士達にとって。




 「だがそれは…単なる言い訳に過ぎなかったのではないか?」

 ただ「戦士」で在ろうとしたことで人として何かを見過ごしていたのは…
 我々だったのかもしれないとそう言いながらケペルは思った。

 「ケペルっ!? お前…何を!」

 声を荒げるメレルカに対してあくまで穏やかにケペルは続ける。

 「ラダメスはそれに気がついた。いや…ずっと疑問に思っていたんだろう。」

 「だから? だからあいつは祖国を裏切ったと言うのか!?」

 ケペルは首を振る。それは違うと。

 「そうではない。結果的にそうなったというだけだ。」

 「結果的であろうとなかろうと…あいつのしたことがファラオを死に追いやった!」

 吐き捨てるように叫ぶメレルカ。そんな自分を落ち着かせるように杯を握り締める。
 そんなメレルカの様子をじっと見つめつつケペルが呟くように言う。

 「それは事実だ。だがそれはラダメスが望んだことではない。」

 淡々と語るケペルにメレルカは感情を爆発させた。
 それがただの八つ当たりに過ぎない行為であることはメレルカ自身、解っていた。
 たが、それまで抑えていた感情なだけにメレルカ自身にもどうすることもできなかった。

 「ではあいつが本当に望んだことは何だというのだっ!?」

 ケペルはただ黙ってメレルカの言葉を…叫びを聞いていた。
 メレルカが落ち着くまで…ただじっと静かに。
 そんなケペルの肩をメレルカは掴み振り向かせる。

 「私にはわからない…何も…見えない…」

 その言葉はどんな叫びよりも悲痛にケペルには感じられた。
 しかしケペルはメレルカの目から反らすことはせずに変わらず静かに答える。

 「我々はそれをラダメスから聞いているのだよ。メレルカ。」

 「…ラダメス…から? …聞いている…!?」

 真剣な眼差しのままケペルはただ深く頷いた。
 メレルカはまだ何処か信じられない様にケペルを見つめた。

 「エチオピアとの戦いの後、ラダメスが望んだものだ。」

 そう言われてメレルカは漸く記憶を辿る。
 ケペルはそれを見て更に続けた。

 「あの時、我々はラダメスの口から聞いたではないか。」

 「…平和…? 人が互いを認め合い…許しあえる…世界?」

 「そうだ。それが全てだと私は今になって思う。」

 しばし呆然とした様子で考え込み、そしてそっと首を振るメレルカ。

 「だが…あの頃、実際に平和が何をもたらした?」

 「戦士の権威はなくなり、人々は権力と金と恋に夢中になっていた。」

 「だから…平和がもたらすものとは結局、そんなものでしかないのではないのか?」

 その言葉にケペルは自虐的な笑みを浮かべた。
 それでいてどこか寂しげな目をしつつ…言葉を紡いだ。

 「人々が戦いをすぐに忘れたのは何故だ? 戦いを憎んだのは何故だ?」

 「それは…辛いからだ。だから人は忘れる。だから…人は…憎む…」

 ケペルに問われてメレルカははじめて何かが心に引っかかった。
 それが一体何なのかはまだ解らないけれど。

 「そう戦いは辛い。だから人は忘れる。だが戦いの記憶を消すことなんかできはしない。」

 ケペルはひとつ息をつく。そして。

 「だから戦いを憎む。ならば我々、戦士は何のために戦う?」

 「…我々が…戦ってきたことは…何の意味もないというのか? ケペル。」

 力なく問うメレルカに対してケペルは微笑んでみせる。
 そして首を振った。

 「私はこの世には意味のないことなどないと思っている。」

 それは静かだが力強い言葉だった。
 メレルカはその言葉に少しだけ救われた気がした。

 「もっとも意味があるから、それが正しいというわけではない。」

 何も言わずに考え込むメレルカにケペルは更に続けた。
 それはケペルがずっと考えてきたこと。「あの時」から。

 「あの頃の戦いでエジプトの戦士が死んでいくことを間近で見て辛かった。」

 メレルカは何も言わずに先を促した。

 「だが…それはエチオピア側にとっても同じことなのではないのか?」

 「同じ…こと…?」

 「そうだ。同じ国の人間が死んだり虐げられれば誰だって辛い。」

 顔をあげたメレルカに対し、お前だってそうだったじゃないか…
 とケペルはまた自虐的に笑う。

 「我々はその辛さを解っていたはずなのにな…。」

 「…ラダメスも…?」

 「あいつは…人を愛することを知ったから、エジプトにもエチオピアにも囚われずに…。」

 「だから…戦いに終わりを望んだ?」

 「だから、この世界に平和を望んだのだよ。きっと。」

 それだけ言うとケペルはもう何も言わずに酒を飲んだ。
 メレルカもただ黙ってにそれにならった。



 どれくらいそうしていたのか…しばらくしてケペルが口を開く。

 「なあメレルカ。そんなに辛いのなら…忘れるか? あの時のことも…ラダメスも。」

 しばらくの沈黙のあと…唸るようにメレルカが答えた。

 「忘れられるのなら…とっくにそうしてる。」

 不機嫌そうな顔がどこか赤らんでいる様に見えるのは酒のせいか。
 ケペルは思わず笑みをこぼす。

 「まあ…確かにそうだな。」

 相槌を打つケペルの笑みは先までとは違い、いつもと変わらず明るかった。
 その笑顔のまま、静かにケペルは言う。

 「私はあいつと…ラダメスと出逢ってよかったと思っている。」

 そして少しだけ意地悪くお前は?と問うケペル。
 メレルカは片方の唇を上げ笑う。

 「さあ…どうだか…。」

 大分、酔いがまわってきたのかそのまま突っ伏すメレルカ。

 「そうか?」

 ケペルのそう言う声をどこか遠くに感じながらメレルカは考えた。
 俺は…あいつと出逢って…よかったのだろうか?
 そして、やっと解った。忘れられない理由が。

 「ああ…そうか…私はどんなに怒った時も憎んだ時も…。」

 突っ伏したまま囁く声でメレルカは呟いた。

 「…あいつと出逢わなくてよかったとは思わなかった…んだ…。」

 そして、そのままメレルカは目を閉じた。

 「おい…メレルカ?」

 ケペルのその呼びかけに答えたのは規則正しい寝息だけだった。




 「まったく…世話の焼ける…。」

 そうこぼしたケペルの顔には穏やかな笑みがこぼれていた。

 「私はお前とも出逢ってよかったと思ってるぞ。メレルカ。」

 もう聞こえてはいないだろうメレルカにそっと呟いた。



 「だが…今は置いて帰りたい気分だな…。」

 それはこの後のことを考え、思わずこぼしたケペルの本音だった。




 どこからともなく砂漠の乾いた風が吹いてくる。


 まるで誰かを偲ぶように…どこか哀しげでいてとても優しい風が…


 それはこれからの行く末を見守るかのように…





 −終−